This Archive : 2010年11月

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2010.11.30 *Tue*

2週間ぶりの再帰国

こんばんは。
前回記事をUPしたのが11月8日でしたね。
帰ってきて早々、暗い記事をUPしました。

11月は結局、中国就職をどうするかで怒涛のひと月となりました。
色々なことが複雑に起こっては進展したので、
何をどう書けば良いか…。
でも、こんなにヘビーなひと月は珍しいと思うので
簡単にでも書き残そうと思います。


11月7日。
帰国。
家族はお帰りなさいムード120%で、連日親類たちも招いての
お帰りなさい鍋パーティーが催される。
おかげで帰国後2kg体重が増えるという悪夢…

同時に中国就職の話題もスタート。
前々から電話で伝えてはいたけれど、
帰国して面と向かって話すと想像以上の猛反対。
自分なりに中国で就職する理由や意味、
将来的な計画なんかもきちんと整えて
話し合いのために帰ってきたのに、
とにかく頭ごなしに「ダメ!」と言われるのでひどく凹む。
今はなかなか見えなくても、きっと将来私だけじゃなくて
両親や家族のためにもなると考えてのことだったんだけどなぁ。

家族の同意が得られない中も、中国からは内定の連絡が来る。
願わくば明るい気持ちで良い返事をしたいんだけど…う~ん。
応援してくれる人もいないので、中国就職ムリかも…と弱気に。
でも諦めるのが悔しすぎて家族とぶつかる日々が続く。
おじいちゃんの体調も心配だし、やっぱり日本にいたほうが
良いのかなぁっていう気持ちもあってどうにも煮え切らない。

11月11日。
本来再度上海に戻ろうと考えていた日。
家族ともっと話し合わなきゃいけない、
ということでこの日の上海行きは延期。
次の目標は17日。
17日までひたすら自分自身の煮え切らなさと、
家族との衝突に悩まされる。

11月14日。
おじいちゃんから突然「上海に行っても言い」発言が。
私はもちろん、家族もビックリ。
海外就職に誰よりも反対するに決まってると思っていたので。
やっと1人味方ができてうれしくなる。
17日に上海へ行くチケットを取った。
他の家族は「おじいちゃん、明日には忘れちゃってるよ」
と言ったけれど、2日後確認したらちゃんと覚えてた。

11月15日。
家族とまたぶつかってる時に、もう飛行機のチケットを取ったと言ったら、
私が本気であることが、やっと両親に伝わったらしい。
父親は色んな知人の人に私のことを相談し、意見を聞いてくれるようになった。
母親は何とか私を日本に留めようと、あの手この手を繰り出してくるようになった。
まだ同意はしてくれてないけど、本気で向き合ってくれるようになったと思う。

11月17日。
結局家族の同意は得られないまま上海へ。
ぎりぎりまで迷ったけど、今回の件を諦めて後で両親のせいにするような
自分になりたくなかったし、自分がどこまでできるのか試してみたかった。
チケット取っちゃったし。
上海で面接は控えてるし。
きっと後で家族のためにもなれることだと考えてたし。
とにかく出発。
でも心細くて泣きながら出発した。
何か色々自分勝手な自分にも腹が立ってたんだと思う。
絶対結果出して30日い帰る!と決めた。

滞在期間は17日~30日の2週間。
上海での面接予定はホテル2つ。

11月19日。
1つ目のホテルの1次面接。
フロントオフィスマネージャーさん、副支配人さん、
総支配人さんの3方と順に面接。
いきなり3人もの方と面接させていただけるとは
夢にも思わなかったので嬉しい反面、かなり焦る。
だって面接英語なんだもん…

11月21日。
夜、父から電話があった。
色々人に意見を聞いたり、家族で話した結果、
中国就職に同意するって言ってもらえた。
でも話が急すぎると釘も刺された。
御もっとも。
ありがたいと同時に申し訳もない複雑な気分。

11月22日。
一つ目のホテルの2次面接。
めっちゃくちゃ綺麗な上海人の、女性営業責任者と面接。
私が中国語話せるという話題になったら、
それ以降の面接が中国語になって嬉しすぎた。

11月24日。
一つ目のホテルの内定連絡をいただく。
嬉しすぎて実感が沸かないといういつものパターン。

11月25日。
2つ目のホテルの1次面接へ。
フロント責任者と人事責任者のお2人と会って面接。
英語の面接もだんだん慣れてくる。
2次面接は後日改めてということに。

結局30日までに2次面接は行われず、
今日の帰国となりました。
11月最後の土日や、予定のない平日は田子坊を訪れたり、
上海の街をぶらぶら散歩したりして過ごしました。
家族との話し合いでハードだったから、
精神面での回復にちょうど良かったと思う。


とにかく今日帰ってきました。
ただいまの挨拶をしにおじいちゃんに会いに行ったら
「あんたさん、もう上海なんか行きなさんな!!」とのこと。
…あれ??

私の2010年11月、ザックリとですがこんなでした。
ヘビーで疲れました…。
12月はやっと実家でのんびりできるかなぁ~。
12月まだ何にも予定立ててないので明日からゆっくり考えます。


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2010.11.08 *Mon*

帰国しました

こんにちは。
非常に非常におひさしぶりです。
昨日11月7日に帰国して参りました。
7ヶ月に及ぶ上海でのアテンダント生活、
一言感想として「楽しかった!」です。
アテンダントの仕事をしんどい、とか、
行きたくない、だとか感じたことは1度もありませんでした。
半年が3年、5年にも感じるような充実した日々を
過ごすことができました。
本当に尊い機会をいただいたと思います。

さて。
今後の展望に関してですが、
中国での就職を考えております。
実際に中国での就職口もすでにあり、
あとは家族の了承を得るばかり。
…なんですが、家族の了承が得られない!

今回帰国したのは中国で就職したいことと
その理由、将来の計画などを話すためです。
けれど、せっかく私がしっかり話そうとしているのに
そもそも相手にしてもらえません。
中国で仕事をしたい、と切り出せば
ダメだ、としか返事が返ってきません。
草薙剛のドラマを見なきゃいけないとか言って逃げるし。

何とかダメな理由を聞くと、
「日中関係が悪化している今、
一人で、何をしでかすか分からない共産国で
仕事をするなんて危なすぎるから」とのこと。
娘を思う親心と、メディア報道による影響が
ぐちゃぐちゃになってる、と感じるのは私だけかしら?

日中関係の悪化や、デモ行為は実際に発生している事態として
注意すべきだとしても、だから中国で仕事をするのが
危ないに直接繋がるのはおかしいように思います。
「日中関係の悪化」と「中国で仕事をするのが危ない」の間に、
私を日本に留まらせるに足る具体的な要素が何もないんですもの。

私は留学を含めてこの何年間か、
ずっと中国と関わりを持ち続けて来ました。
今回は、上海以外の土地に足を運んで街の様子を調べたりもしました。
その中で分かったのは、政治とごく普通の人々の
考えは必ずしも一致しておらず、日本でよりも
遥かに暖かな人と人との繋がりがあるということです。

親の漠然とした「中国は危険」という不安に対して
「そんなことはない」と言い切れる現地経験と、
安全面での自己管理能力は身につけてあります。
例えば上海であれば、親族同様に世話を焼いてくれる知人も
沢山できましたし、アテンダント仲間も沢山います。
決して一人ぼっちで新生活をスタートさせるわけじゃありません。

親にこの点を理解してもらえると良いんですけど…。

この話を切り出したら、「アテンダントの仕事なんか
させなければ良かった」と言われました。
悲しい…
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moeroze

Author:moeroze
2010年に大学を卒業後、上海で半年勤務。2011年から引き続き上海でお仕事。
大学時代中国語を一生懸命勉強したので、これから数年は英語をしっかり学び直すのが目標。
音楽、歌、絵を描くのも大好き。
3~4年後には4ヶ国語目の勉強を始めたい。ハワイ語勉強したいな。



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